2017年1月28日土曜日

フィデル・カストロ弔問の思い出

既に2か月近くの事になりますが、記憶の整理も兼ねてフィデル・カストロ弔問の為、在日キューバ大使館まで足を運んだ事を書き記そうと思います。

フィデル・カストロが死去したのは2016年11月26日の事。
そして、同年11月27日~12月4日の間、9:00~12:00,14:00~18:00の時間帯にて、東京 東麻布の在日キューバ大使館において弔問・記帳の受付がなされていました。

私が大使館に足を運んだのは12月2日の12:10頃のこと。
大使館の建物は、かのキューバ危機の舞台となった国とは思えないほど、小さな佇まいでした。
カストロ死去に伴い、国旗は半旗となって掲げられていました。

既に受付時刻を過ぎてしまい、大使館の門は閉まっていました。私の他にも、遅刻した女性の方がお二人いらっしゃり、門の前で「どうしようか…?」とお話していました。
次の受付開始時刻である14時まで何をして時間を潰そうか…と考えつつ、そのまま大使館の門の前に立っていると、門が開き日本人女性職員の方が、女性二人連れに「せっかく来ていただいたのですから、どうぞ中へ」と話しかけました。すかさず、私も職員の方に「すみませんが、私も入れて頂いてよろしいでしょうか?」とお願いしたところ、ご快諾頂き、大使館内に入る事ができました。

大使館は 1階は受付スペース、2階が弔問の為のスペースとなっていました。

階段で2階へ上がると、そこはまるで葬儀会場のようでした。花が飾られ、フィデル・カストロとゲバラの肖像写真が掲げられ、大使館職員の方々が黒いスーツとネクタイ姿で出迎えてくださいました。

2階の一番奥にあたる部屋が記帳室となっていました。ページをめくると、既に大勢の方々が記帳をしていらっしゃいました。僭越ながら、私も「どうぞ安らかに」の旨の記帳を行いました。

フィデル・カストロには批判的なご意見も多いかと存じますが、それでも私にとり、彼は憧れの存在であり続けています。そして、フィデル自身は「あの世」など信じていなかったであろう事は承知の上で、それでもあの世でゲバラと再会し、共に葉巻を再び楽しんで欲しいと願うばかりです。

フィデルが愛飲していた葉巻「コイーバ」を吸いながら、少々センチメンタルな思いをしつつ書き終えたいと思います。

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